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3Dプリント義手が「日常」を取り戻す──Open BionicsとアリカンテBioFABが示すモジュール式義肢の最前線

Open BionicsのHero FLEX。3Dプリントされた黒いラティス構造のアクティビティ用アタッチメントとBOAダイヤル
Open Bionicsの上腕用システム「Hero FLEX」。アクティビティ別アタッチメント(写真はドラム演奏用とされるもの)に付け替えできるモジュール式が特徴。出典:Open Bionics 公式サイト

3Dプリンターが、いま義手の世界を静かに塗り替えています。2026年5月から6月にかけて、上腕(above-elbow)の切断者に向けた3Dプリント義手と、調理から楽器演奏まで機能ごとにパーツを付け替えるモジュール式義手という、ふたつの注目すべき事例が相次いで報じられました。

ひとつはイギリスのOpen Bionicsが手がける上腕用システム「Hero FLEX」。同社の上腕用ソケットを採用した世界初のフルレングス(肘上)3Dプリント・バイオニックアームが、ニューヨーク在住の物理学者プラヴィーン・ガウサム(Praveen Gowtham)さん(43歳)に装着されたと、複数のメディアが伝えています。もうひとつはスペイン・アリカンテ大学の研究ユニット「BioFAB」が開発した、用途別にモジュールを交換できる安価な義手です。

どちらも軸にあるのは「ひとりひとりの体と生活に合わせて、軽く、安く、繰り返しつくれる」という3Dプリントならではの強みです。なぜいま義肢の現場で3Dプリンターが選ばれているのか──その理由が、この2件にはっきりと表れています。

「装着して1時間で、犬の散歩も缶も開けられた」──Open Bionics「Hero FLEX」

イギリス・ブリストル発のOpen Bionicsは、世界で初めて臨床承認された3Dプリント・バイオニック義手を世に出したことで知られる企業です。今回話題になった「Hero FLEX」は、同社にとって初の上腕(肘上)用ソケットにあたるとされています。

報道によれば、生後まもなく循環器系の合併症で右腕を切断したガウサムさんは、ニューヨークのクリニックでHero FLEXを装着し、その1時間以内に犬のリードを両手で持ち、作業台で工具を握り、生まれて初めて自力でソーダ缶を開けてみせたと伝えられています。VoxelMattersは装着日を2026年5月19日と報じています。

Hero FLEXを装着した男性が、冷蔵ケースからソーダ缶を取り出す様子
装着から1時間以内に、自力でソーダ缶を開けたと報じられたガウサムさん。出典:VoxelMatters

Hero FLEXの肝は「モジュール構造」です。ひとつの腕を、仕事用・スポーツ用・日常用といったアクティビティ別のアタッチメントと、バイオニックハンドとで「クリックひとつで」切り替えられる、と同社は説明しています。公式サイトによれば、対応する末端デバイス(ターミナルデバイス)は50種類以上にのぼり、カヤックやパドルボードを楽しめる防水仕様もうたわれています。

製造プロセスにも3Dプリントが深く組み込まれています。ソケットは利用者の腕を3Dスキャンし、その人の解剖学的形状に合わせて一点ずつプリントされます。素材はナイロン12(PA12)が用いられているとされ、通気性があり、調整・圧縮・着脱が可能だと報じられています。制御は筋電(マイオエレクトリック)方式で、上腕の筋肉が発する微弱な信号をワイヤレスセンサー「MyoPods」が拾い、直感的に手を動かす仕組みです。

Hero FLEXのような軽量でモジュール式のシステムが上腕切断者にも広がることについて、Open Bionicsの共同創業者とされるサマンサ・ペイン(Samantha Payne)氏は「この技術が、上腕切断者のコミュニティでも使えるようになった」という趣旨のコメントを寄せたと報じられています。なお、これらの肩書・コメントは主に同社発のリリースを引用したメディア報道に基づくもので、現時点で当社が一次確認できた範囲です。

調理にも楽器にも──アリカンテ大学「BioFAB」の付け替え式義手

もう一方の主役は、スペインのアリカンテ大学(University of Alicante)とアリカンテ健康・生物医学研究所(ISABIAL)が共同で運営する研究ユニット「BioFAB」です。大学の公式発表(2026年5月26日付)によれば、同チームは機能ごとに交換可能なモジュールを備えた、上肢用のカスタム義手を開発しました。

設計思想はシンプルです。ソケットには生体適合性があり、柔軟で水洗いできる素材を使い、装着感を高めています。義手の本体は用途に合わせた素材で3Dプリントされ、たとえば調理用には、耐衝撃性が高く熱にも強い硬質素材を選ぶ、といった具合です。外部にネジを使わず、工具なしでパーツを付け替えられる構造になっているとされます。

BioFABのモジュール式義手を装着した男性が、調理台でパンをナイフで切っている
用途別モジュールを交換できるBioFABの義手。写真は調理シーンの試用例とされるもの。出典:University of Alicante

「私たちの目標は、より多用途で、適応性が高く、手頃な価格の義手を提供し、日々の自立を本当の意味で後押しすること。利用者の現実のニーズを最優先にしています」──BioFABの科学ディレクターでアリカンテ大学のエンジニアであるハビエル・エスクラペス(Javier Esclapés)氏は、大学の発表でこう述べています。

この義手は特許出願中で、すでに利用者による検証も行われているとされます。開発にあたっては、義手を実際に使う当事者を巻き込んだ参加型ワークショップが重ねられました。大学は2026年5月27日に最終ワークショップを開催し、技術移転オフィス(OTRI)を通じてライセンス供与のための産業パートナーを探していると発表しています。

参加型ワークショップで、3Dプリント製のカラフルなモジュール義手を試す参加者
当事者を巻き込んだ参加型ワークショップの様子。色とりどりの3Dプリント製モジュールが並ぶ。出典:University of Alicante

なぜ「3Dプリント」が義肢に向いているのか

このふたつの事例は、アプローチもスケールも違いますが、3Dプリントが義肢にもたらす価値という点では同じ方向を向いています。

第一に、個別最適化です。手や腕の形は、ひとりひとりまったく違います。従来の義肢は型取りと手作業に多くの時間とコストがかかりましたが、3Dスキャンとプリントを組み合わせれば、その人の体にぴったり合う形を、型を起こさずに直接かたちにできます。Hero FLEXがソケットを一点ずつスキャン・プリントするのも、BioFABが「型が不要になる」と説明するのも、ここに理由があります。

第二に、軽さです。ガウサムさんが「これまで着けたなかでいちばん軽い」と感じたと伝えられているように、樹脂を使った3Dプリントは金属中心の従来義肢より軽く仕上げやすく、長時間の装着による負担を和らげます。

第三に、モジュール式による適応性です。仕事、料理、スポーツ、楽器──生活の場面ごとにパーツを付け替えるという発想は、3Dプリントだからこそ低コストで実現できます。必要な機能を必要なときに、というモジュールの考え方は、まさに造形物を手軽に増やせるデジタルファブリケーションの得意分野です。

そして第四に、反復製作の容易さと低コストです。データさえあれば、壊れたパーツを刷り直したり、成長や生活の変化に合わせて新しいモジュールを追加したりできます。BioFABが掲げる「より手頃な価格」という目標は、この性質に支えられています。

3Dプリンターは、いまや試作や模型だけの道具ではありません。光造形やFFF(熱溶解積層)といった造形技術が、誰かの「当たり前の日常」を取り戻す現場で、確かな役割を果たし始めています。義肢のような高度な医療・福祉用途は、専門の臨床チームや研究機関の検証があってこそ成り立つ領域ですが、その土台に3Dプリントが組み込まれていく流れは、これからますます広がっていきそうです。

ものづくりの可能性が、人の暮らしのいちばん近いところまで届きつつある──そんな手応えを感じさせる2件でした。

本記事は各メーカー・大学の公式発表および専門メディアの報道に基づいて構成しています。スペック・日付・人物の肩書は報道時点の情報です。最新の仕様は各公式サイトをご確認ください。