スイス企業Holcimが提示する最先端の3Dプリント「橋」、一方で囁かれるグリーンウォッシングの疑い
3Dプリント技術がコンクリート製造を合理化する
3Dプリンター建築において、早くから注目を浴びていたのは橋だ。
2019にも一度取り上げたことがある。当時はオランダで世界最長のコンクリート3Dプリンター橋が誕生し、大きく話題となっていた。
それを製作したのはオランダのデザイナーであるミシェル・ヴァン・デル・クレイとアイントホーフェン工科大学。国家的なプロジェクトとして行われたそれは、当時で世界最長となる全長28mの3Dプリントコンクリート橋を完成させることとなった。
ただ、実はその以前から3Dプリントされたコンクリート橋をめぐって各国が競い合うように建設を行ってきた。実際、同年の1月には上海でもその当時で最長の3Dプリント橋が建設され話題になったばかりだった。
なぜ3Dプリント橋が注目を浴びるのか、そこには理由がある。それは橋の建築に欠かせないコンクリートの成形の上で必要なプロセスとコストが、3Dプリンターによって大幅にカットされるからだ。
従来、コンクリートの成形のためには、まず金型の製作がなされる必要があった。液体を固めるには何か形を決める型が必要だ。身近な例でいうと、氷を作る時に使用する型などもそうだ。
しかし、3Dプリンターによって堆積による成型が可能になったことで、その金型なしでもコンクリートを成型することができるようになった。つまり、単純に考えてもこれまで必要だった金型の作成という手順が省略され、作業工程が半分になったのだ。
さらに、金型を経由しないことで、コンクリート構造体により多くの完成自由度がもたらされることになったらしく、今までは金型の特性上、技術的に難しかったような形状のコンクリートも、この方法によって作れることになったのだ。
また、3Dプリント技術によってコンクリート製造時に排出されるCO2量も大幅に削減できることがわかっている。もともと土木建築分野においてコンクリートの製造によるCO2の排出は、全体の4分の1を占めていたなど、問題視されていいた。これが3Dプリント技術を通じたイノベーションによって改善されるということで、エコの時代の価値観にフィットしたのも大きい。
こうした背景から、3Dプリントとコンクリートの関係には大きな注目が寄せられていた。とはいえ、大規模な建造物を建てることはそう容易いことではない。そこで3Dプリントコンクリート建築がどんなものなのか試す、ある種の試金石として「橋」に注目が集まったというわけだ。
分解と再組み立てが可能なHolcimの「ストリアトゥス」
さて、では最近の3Dプリント橋の事例はどんなものがあるのだろう。
たとえばスイスの企業Holcim Groupは今年、イタリアのベニスで、ロボットアームで印刷した非常に面白い造形の橋を発表して話題となった。その名も「ストリアトゥス」。緑豊かな環境に違和感のない有機的なデザインが特徴的だ。こちらはコンクリートの53個の中空ブロックからなる。つまり、ブロックにしたことで、分解、再組み立て、リサイクルが可能なのだという。
HolcimのCEOであるJanJenisch氏によると、「3Dコンクリート印刷は、美観やパフォーマンスを損なうことなく、材料の最大70%を削減できます」。実に素晴らしい取り組みだ。特に分解が可能であることは大きい。自然災害が多発する今日、より頑丈で、耐久性のある建築というアイディア自体に疑問符がつき始めている。つまり、自然の猛威を前にした時、重要なのは頑丈さよりも柔軟さかもしれない、と考えられ始めているのだ。
たとえば日本は昔、多くの橋が吊り橋であり、それは石橋と比較して脆くもあった。地震大国であり、台風なども多発する日本列島においては、頑丈で壊れにくい橋よりも、もし壊れてもすぐに作り直せるということの方が、理にかなっていたのかもしれない。自然に抗うのではなく、自然に寄り添うこと。あるいは現在、そうした日本的な知恵が3Dプリンティング技術と共に再評価されつつあるということだろうか。
いずれにせよ、Holcimの「ストリアトゥス」の試みは、今日の気候変動に対応する、実に興味深いものであることは間違いないだろう。
SDGsとグリーンウォッシング
ところで、実はHolcimに対してはある批判もなされている。なんでもHolcimは現在のブランド名になる前に、シリアにあった自社の工場を、現地がイスラム国などの武装グループの支配下に置かれて以降も稼働させ、現地スタッフを維持させたことなどに対して、人道に対する罪が問われていたのだ。
それゆえ、今回のこうした取り組みもいわゆる「グリーンウォッシング」ではないかとの批判も浴びている。グリーンウォッシングとは、企業がなんらかの不正や倫理違反によって負ってしまったネガティブなイメージを、エコロジー活動に参画することなどによって、払拭することを試みることだ。
現在、日本でもSDGsに取り組む企業に対してそれが「グリーンウォッシングではないか」という疑念を口にする人は多い。もちろん、そうした批判には一理も二理もある。一方で、「グリーンウォッシング」だとしても、それがもし、ポジティブな効果を持つものであるのなら、しないよりもマシだとの見方もある。
たとえば、「ストリアトゥス」はどうだろう。それが仮に欺瞞的な背景を持って製造されたものだとしても、「ストリアトゥス」が提示した可能性は、今後の建築のあり方を大きく変えていく力を持つ。果たして最新テクノロジーが「禊ぎ」となるのかは分からない。だが、テクノロジーがなければ、差し迫った環境問題を乗り越えることもまたできない。
変わりゆく時代、変わりゆく倫理、簡単には正解が得られないからこそ、きちんと状況を注視していきたい。