
3Dバイオプリント「胎盤」は妊娠合併症を解明するか
胎盤は小さな臓器ながら、妊娠において極めて重要な役割を担っています。受精卵が子宮に着床するたびに新しく形成され、胎児とともに急速に成長し、やがて小皿ほどの大きさにまで発達。胎児は子宮内で呼吸も摂食もできないため、胎盤が酸素と栄養の供給源となり、さらに老廃物を排出する腎臓の役割も果たします。まさに「命綱」と呼ぶにふさわいい、生命の誕生に欠かせない臓器です。
ところが、その重要性にもかかわらず、胎盤は人類の生物学の中で最も理解の進んでいない臓器の一つとされています。理由は、妊娠中に胎盤のサンプルを採取するのは感染や流産のリスクが伴い、出産後には組織が大きく変化してしまうため、初期発達の研究には適さないということ。さらに、動物の胎盤はヒトと大きく異なるため、動物実験から得られる情報にも限界があります。
胎盤オルガノイドとバイオプリント
この課題に挑んでいるのが、オーストラリアのシドニー工科大学(UTS)の研究チームです。彼らは「胎盤オルガノイド」と呼ばれる人工ミニ胎盤を、3Dバイオプリントで作り出すことに成功しています。
オルガノイドそのものは決して新しい技術ではなく、2009年には医療研究に登場した技術です。これは幹細胞をゲルに浮遊させて培養することで、臓器に似た立体構造を自発的に形成するという技術で、2018年には初めて「トロフォブラスト」という胎盤特有の細胞を用いた胎盤オルガノイドが作られました。
しかし、従来の研究では動物由来のゲルに細胞を浮遊させる方法が主流であり、実際の胎盤環境を正確に再現できないという問題がありました。また、大量のオルガノイドを作る際には手作業が多く、効率性にも課題がありました。
世界初の「3Dプリント胎盤オルガノイド」
UTSの研究が画期的なのは、バイオ3Dプリンターを使ってオルガノイドを作成した点です。さらに、使用したのは動物由来ではなく、合成で制御可能なゲル。これにより、より正確で再現性の高い胎盤モデルが可能になりました。
A placental organoid under the microscope
実際に作成されたオルガノイドは、ヒトの胎盤組織と非常に近い特徴を示し、細胞の種類や構造もより自然に近い形で発達しました。研究者たちは「若いオルガノイドをゲルから取り出して液体培地に浮かせることで、細胞の組織化を変化させることができた」と報告しています。
応用の可能性──妊娠合併症の解明へ
胎盤オルガノイドの研究は、特に子癇前症(preeclampsia)の解明において、大きな期待が寄せられています。子癇前症は胎盤の機能不全と関連があると言われ、妊娠の5〜8%に発生。毎年約4万6千人、新生児で50万人もの命を奪っています。唯一の治療法は出産ですが、原因が特定されていないため予防や対策が難しいのが現状です。
今回のUTSの研究では、子癇前症患者で多く見られる免疫シグナルにオルガノイドを曝露し、複数の治療法を試す実験も行われました。こうした研究を通じて、病態解明や新薬開発が大きく進む可能性があります。
また、今後はCRISPR遺伝子編集と組み合わせて遺伝子レベルでの理解を深めたり、感染症研究や薬剤安全性テストに活用したりする道も考えられます。
バイオ3Dプリントの可能性
バイオ3Dプリンターを使う最大の利点は、複雑な3D構造を精密に再現できるということです。これにより実験の精度と再現性が向上し、動物実験の削減にもつながります。
胎盤オルガノイド研究はまだ初期段階とはいえ、将来的には妊娠合併症の予測・予防・治療に不可欠なツールとなるかもしれません。バイオ3Dプリント医療の未来に期待がかかります。