
昆虫のためのユートピア|モアザンヒューマンと3Dプリントの交差点
フランスのアーティスト/デザイナーであるラファエル・エミーヌ(Raphaël Emine)が手がけた新プロジェクト「Les Utopies Entomologiques(昆虫学的ユートピア)」は、環境保全とアート、そして先端の3Dプリント技術を重ね合わせる試みとして注目を浴びています。
不思議なタイトルの作品の正体は、都市空間に置かれるセラミック製の「バグホテル(虫のホテル)」。六角形のパターンや曲線的なフォルムは、ミツバチの巣やシロアリの塚など自然界の建築物に着想を得てデザインされたものだそうです。

「モアザンヒューマン」と「マルチスピーシーズ」
ここ数年、人文学では「モアザンヒューマン(more-than-human)」や
「マルチスピーシーズ(multi-species)」という視点が活発に議論されています。
これは、人間中心主義(ヒューマニズム)を一度問い直し、人間以外の存在 ― 動物、昆虫、植物、菌類、さらには非生物的な存在まで ― とどう共生していけるのかを探るものです。
例えば、アナ・チンの『マツタケ』という著作に代表されるような多種共生的な世界観をフィールドワークやデザインに取り入れる動きが広がっています。
この潮流は、単なる生物学やエコロジーではなく、人間の暮らしや都市空間、テクノロジーの使い方そのものにも再考を迫っています。
土とデジタルのあいだに
エミーヌの「バグホテル」も、まさにこうした思想に根差した作品です。
イタリアのセラミック3Dプリンタ企業WASPと協働し、WASP 40100 LDM や Delta WASP 2040 Clay といったマシンを使ってリサイクル粘土から複雑な形状を造形。その後、一つ一つを手作業で仕上げ、釉薬をかけずに焼成することであえて多孔質の表面を残しています。
これにより、苔が育ちやすくなり、昆虫が巣を作りやすい環境が整う。
作品が都市の公園や庭に設置されると、それは単なる彫刻作品ではなく、昆虫、コケ、バクテリア、微細な植物などが共生する“生きたラボ”になるのです。

3Dプリントが「生き物の家」をつくる面白さ
ここで面白いのは、極めて有機的なものを育むのに、最先端の3Dプリンティングが使われているという点。
人間が手で作ることが不可能な複雑なトンネルやポケットを層ごとに精密に積み重ねることで、虫たちの行動パターンに合わせた空間を設計できるんです。
形の最適化だけではなく、自然模倣(バイオミミクリ)の思想を取り入れ、昆虫の好む暗さや湿度、通気性なども計算されています。
私たちのテクノロジーが、人間のための快適性を追求するだけでなく、小さな生命をも受け入れる環境を“意図的に”デザインする。
それは、テクノロジーがモアザンヒューマンの実践へと接続されていく一つの象徴と言えるでしょう。
都市に「小さなユートピア」を散りばめる
エミーヌはこのプロジェクトを通じて、人間の建築やプロダクトデザインが生物多様性を損なうのではなく、むしろそれを増幅する装置になり得ることを示しています。
セラミックという古くから人の暮らしに寄り添ってきた素材と、3Dプリントという最新技術の組み合わせは、どこか詩的でありながら都市空間の再構築に向けたリアルな提案でもあります。
モアザンヒューマンの思想が、3Dプリンティングという人間のためのものづくり技術と重なり合ったとき、そこに生まれるのは単なる機能美ではなく、異種の命を迎え入れるデザインの未来像かもしれません。
