世界初の3Dプリント角膜移植に成功、視力回復に新たな希望
2025年10月下旬、ランバン医療センター(Rambam病院)で、世界初となる3Dバイオプリンティング(生体組織を3Dプリンターで作製する技術)による角膜インプラントの移植手術が実施されました。
この患者は治療対象の片目が法的失明の状態でしたが、移植手術により視力が回復し始めているとのこと。今回移植された角膜インプラントは、ドナー(提供者)由来の組織を直接移植するのではなく、ドナーの角膜から取り出した細胞を培養し実験室でプリントして作られた世界初の角膜です。
手術は順調に行われ、術後の経過も良好。担当医師は「実験室で作られた角膜が人に光を取り戻させた歴史的瞬間」であり、「今後ドナー不足で光を失う人がいなくなる未来への希望だ」と述べています。再生医療と視力回復における画期的な瞬間、3Dバイオプリンティングの快挙です。
角膜移植の現状とこの成果がもたらす意義
角膜は黒目を覆う透明な膜で、傷や病気で濁ると視力を失ってしまいます。視力を取り戻すには角膜移植が有効ですが、その提供には深刻なドナー不足があります。現在、全世界で約1,300万人以上が角膜の病気で失明状態にあるとされます。
しかし提供されるドナー角膜の数は需要に対して圧倒的に不足しており、角膜を必要とする患者70人につき1枚程度しか提供できていないとの推計もあります。日本を含め多くの国で角膜提供を待ちながら視力を回復できない患者がいるのが現状です。
今回の3Dプリント角膜は、この状況を大きく変える可能性があります。例えば、健康なドナー1人の角膜から細胞を培養することで、最大300枚もの角膜インプラントを作製できると報告されています。
ドナーから得た「一つの贈り物(角膜)」が何百もの新たな視力のチャンスに生まれ変わ。この技術の医療的・社会的インパクトは絶大です。
まずは「ドナー不足の解消」。一人の提供者から多数の移植片を作れるため、角膜提供者の不足によって治療を受けられない患者を大幅に減らせます。結果として世界規模で失明を防げる患者が飛躍的に増えると期待されています。
あわせて「移植待機期間の短縮」も大事です。将来的には病院がプリント角膜を冷凍保存で常備できるようになり、患者は角膜提供を何年も待つ必要がなくなります。手術のタイミングに合わせて「すぐ使える角膜」を提供できれば、視力を失ったまま長期間過ごす苦しみが減るでしょう。
そして「品質と安全性の向上」にも資するとされています。ドナー角膜は提供者の年齢・健康状態によって質にばらつきがありますが、実験室で均一に製造された角膜なら品質が安定します。また感染症リスクの低減など、安全性の面でもメリットが期待できます。
今回の成功は「角膜が足りないために光を諦めざるを得ない」という状況を変える大きな大きな一歩です。再生医療企業Precise Bio社のCEOは「これは角膜疾患で視力を失った何百万人もの人々にとって希望の転換点だ」とも述べています。視覚障害を持つ患者さんや家族にとって大きな福音となるでしょう。
Precise Bio社の技術と独自性
今回、使用された角膜インプラントは、再生医療スタートアップのPrecise Bio社(本社:米ノースカロライナ州)が独自開発したプラットフォームによって製造されていルトのこと。同社の強みは製造プロセスをすべて自社内で完結している点です。

具体的には、まず少量のドナー角膜から角膜内皮細胞(角膜の内側にある細胞)を分離・培養し、それをコラーゲンなどのバイオインクと混ぜてロボット制御の3Dバイオプリンターで何層にも精密に積層し角膜組織を成形します。プリントされた角膜組織は培養下で所定の強度・透明度が出るまで成熟させた後、特殊な方法で長期保存できるよう冷凍保存されます。この一連の工程を医療グレードの厳格な基準で行うことで、どの移植片も同じ品質に仕上がるようにしています。
完成した角膜インプラントは、手術用の器具にあらかじめ装填された状態で供給され、必要時に解凍してすぐ使用可能。従来の角膜移植と同じ手技で扱えるため、現場の医師にとっても受け入れやすいでしょう。
こうした技術的特徴により、Precise Bio社は世界でも先駆的なバイオプリンティング企業として知られており、共同創業者には再生医療分野の権威アンソニー・アタラ博士(ウェイクフォレスト再生医療研究所所長)も名を連ねています。10年以上にわたる研究開発の結晶として、この角膜プリント技術が実現したのです。
今後の可能性と世界的なバイオプリンティングの展望
今回の移植はまだ治験(臨床試験)の初期段階であり、まずは10~15人規模の患者を対象に安全性や効果を確認しているところです。早ければ2026年にも最初の結果が公表される見込みで、良好な結果が得られれば次の段階へと試験が進みます。実用化までにはさらに大規模な臨床試験や規制当局の承認プロセスが必要ですが、順調にいけば数年以内に患者さんがこの技術の恩恵を受けられる可能性も見えてきいるとのことです。
将来的には、各眼科病院がこのバイオプリント角膜を冷凍ストックとして備蓄し、患者は必要なときにすぐ角膜移植が受けられる世界が実現するかもしれません。実際、研究チームは「患者を手術の日程に合わせてすぐ治療できるようになる」と述べており、角膜提供を長年待つといった事態が過去のものになる展望を示しています。「必要なときに必要な組織をすぐ提供できる」というのは再生医療が長年目指してきた理想であり、この成功はそれに一歩近づいたものです。
さらに、今回の画期的成果は世界のバイオプリンティング分野全体にも大きな弾みを与えると考えられています。3Dプリンターで生体組織を作る研究はここ数年で大きく進展しており、皮膚の一部や軟骨、気管の一部など比較的単純な組織のプリントは既に研究段階から医療応用が始まりつつあります。
しかし角膜のように透明性・強度・機能性が要求される複雑な組織での成功例は他になく、世界初の今回の偉業が際立っています。実際、イスラエルのCollPlant社は植物由来コラーゲンを使ったバイオインクで角膜組織プリントの研究を進めており、アジア(日本)やインドの企業もプリント角膜の足場となる材料開発に取り組んでいます。
米国では大手の3D Systems社やUnited Therapeutics社が生体肺や気管支のプリンティングを進めており、将来の臓器プリント量産に向けた基盤技術を育てています。世界中の研究機関も、皮膚、網膜組織、血管付きの臓器片など様々なターゲットでしのぎを削っており、再生医療における「臓器の自給自足」が現実味を帯びてきました。
こうした中で、角膜移植への3Dプリント技術適用は他の追随を許さない快挙です。なお角膜以外にも、2022年にはアメリカで患者自身の細胞から3Dプリントした耳介(外耳)を移植する手術が世界で初めて成功するなど、近年少しずつバイオプリント組織が実際の患者に応用され始めています。視力のみならず、失った組織を取り戻す再生医療の未来が着実に動き出していると言えるでしょう。
参考
画像
Precise Bio
